九州大学に1年いて、学習院女子大に半年留学していたマーリャは、人文大学(EHI)の卒業論文で忙しい、忙しいと云いながら、家内の日本料理の魅力に抗しがたく、3回も食事に来た。こんにゃくが好きな妙な子で、ヘルシンキで買ってきたこんにゃくの煮物を大喜びで食べる(9月末に無事卒業したと連絡があった)。

 筑波大学で政治学を勉強中で、夏休みに一時帰国していたモニカもパルヌからわざわざ会いに来てくれた。群馬大学の細胞学研究所に留学していたピレットは、両親が来日して我々の家に泊まったこともあり、どうしてもタルツの自宅に来いといって聞かない。120坪の敷地に60坪の家、庭には苺はじめラズベリー等野生の木の実がいっぱい、摘んでは食べる。季節の花もカリカクラや石竹等咲き乱れている。始めてエストニア人の家に泊まった経験であった。 

留学生だけでなく、タリンで個人教授をした社会人が、夫婦で日本の我々の家にホームステイに来たことがある。その彼らもタリンで家によんでくれたり、郊外の美しい公園に連れて行ってくれたり、最大のもてなしは、ヒウマー島の沖にある無人島の小屋に一晩招待してくれたことだ。自然を忘れかけた現代人にとってはこれほどの贅沢な一夜はなかった。

10年の歳月をこんなに実りあるものとしてくれたエストニアに感謝しつつ、この辺で筆を擱きたい。


                    (終 り)

 
                         あとがき

本部の広報担当、木原氏からは、「EU以降のエストニア」というテーマで書けとのことであったが、とてもその責にはない。我々の十年を振り返ると多少ともその変化を感じていただけるかも知れない。                      
 

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