こんなにあって共倒れしないかと思うほど、スーパーが増えている。そこでは野菜も豊富だ。便利な冷凍食品も多種類ある。当時夢にも見たレタスが山のように積んである。圧巻はお魚だ。白身の魚、海老、貝、烏賊等なんでもある。フィンランド系のデパートでにぎり寿司が売り出されたという話しは聞いていたが、種類は少ないが、たしかに売っていた。調味料でも日本の醤油はある、日本製のお酢はある、そのそばに「すしセット」を見つけ家内は喚声を上げていた。

日本食材先進国のオランダやスイスに比べればまだまだかもしれないが、その当時、これだけあれば苦労はしなかったと家内がぼやく。

地方にも行ってみた。タリンの郊外に出て驚いたのは、「売り地」の立て札が多いことである。旧ソ連時代には土地は国有化された。1991年に再独立し、占領前の地主に返還されることになったが、地主が中々見つからず、所有権の移転がスムースに行われていなかったようだ。それに土地に投資する経済情勢でなかったのであろう。今や、土地に投資価値がでてきたのだ。

ヴィルヤンデにも行ってみた。音楽会のあった懐かしいヤーニ・キリック(聖ヨハネ教会)を抜けて(丁度結婚式の最中だった)、吊り橋を渡り、13世紀の城址を訪ねる。湖が美しい。変らぬ風景だ。例のホテル、一変していた。ガラス張りの広い玄関、ロビーの奥に、うす桃色のクロスをかけた瀟洒な食堂が見えた。市内の家内が安いので大量に買った麻製品の店はなかった。土産物店は増えていたが、値段も上がり、気に入った民芸品はなかった。

  エストニアの人々にEUに加入して変ったことを聞いてみた。特に強い感想は聞かれない。ただ、物によっては物価上昇がひどいらしい。一例は砂糖で、今まではウクライナから輸入していて安かったのに、EU域内からの輸入になり、倍近い値上がりという。でも物の豊富さがそれらの不平を帳消しにしているようであった。96年にタリンに着いてすぐに申し込んだ電話が1年余り後にしか設置できなかったが(その間、大家さんの親子電話を使っていた)、今はもう誰でも携帯を持っている。前払い携帯電話も簡単に手に入る。

気になったことがあった。トラムやバスでロシア語の会話が声高に聞かれることだ。我々滞在時は、ロシア人は小さくなっていた。ビザの問題、言語法等で確かにロシア人は差別されていたかもしれない。EUでは人権尊重は重要な案件であろう。タリンの観光地区では土産物店が猛烈に増えたが、殆どロシア人の経営といわれている。「ロシアのマフィアが金をだしている」と悪口を云う人もいたが。エストニア在住のロシア人に元気が出たのだ。ロシア人は愛想がよく、陽気だ。これはいいことか悪いことかわからない。

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