嘗て、度々買い物に来ていた、当時唯一のデパート、「カーバーマーヤ」も新しいビルに拡張し、旧館との間の渡り廊下に感じのいいカフェがある。今回、家内と時々行ってはコヒーを飲んだ。窓から町行く人々や、行き交うトロリー、バスなどをぼんやりと眺める。吹雪の日にトロリーに車体に穴が開いていて、雪が舞い込んでいた。もうそんな車体のものはない。市内を走るバスの停留所は屋根もなかった。タクシーも雲助がいて、度々ぼられたが、今は携帯で信用あるタクシーがどこでも来てくれる。

エストニア人はスタイルもよく、少々生地や仕立ての悪い服でもかっこ良く見えたが、今や、ますます洗練されてきた。勿論今も、夏にコートやセーターを着て歩いているお婆さんがいるが、むしろ微笑ましい。

経済の進歩は貧富の差を生むかもしれない。しかし、若い人は力さえあれば、他のEU国に働きに行くこともできる。医者などは引っ張りだこだという。

留学生

 95年には香川大学と横浜国大に2名しかいなかったエストニア人留学生は、今や、常時15名くらい来ている。エストニア人の大学進学率が上がったのと、日本の大学適齢者の減少とがマッチして、別府の立命館APUにはエストニアの高校から直接の入学者が6名もいる。彼女らに(今1名男子もいるが)会いに別府まで行って、大学の国際課にも挨拶したが、エストニア人はよくできると賞賛の言葉を戴いた。この数年、福岡、京都、静岡、筑波、前橋と留学生を訪ねて励ますのが楽しかった。近々、金沢にも行く予定がある。

 勿論東京にも、東大、電気通信大、早稲田、学習院と留学生がいる。15人という数字は、エストニアの人口が150万とすると、他国に比べて極めて高率である。例えばポーランドは230人くらいの在日留学生がいる。しかし人口4,000万とすれば0.057%である。エストニアの約半分である。

 今回のエストニア滞在でも、元留学生との交流は楽しいものであった。学習院女子大学に留学していたピレリーンには、2年前、結婚式にも招待されたが、今回は早稲田大学で学んでいたご主人が、助司祭に任命され、その任命式に参列した。 

 タリンの日本大使館に勤めているエストニア人男子3名はいずれも日本留学経験者である。東京学芸大学、早稲田大学、慶応義塾日本語別科で、3人揃って我々のアパートにやってきた。家内が彼らの好物のとんかつを多量準備していたが、ダイエットとかいってあまり食べない。エストニア人の男性もダイエットすると家内が驚いていた。

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