野菜はジャガイモがおいしい。キャベツ、たまねぎ、人参は土地のものがある。お米もなんとかショート米が売っていた。牛肉、豚肉、鶏肉はそこそこおいしくいただく、全てキロ単位の塊で売っている)。問題は魚だ。鰻はあるが燻製だ。食べられそうなのは鮭くらいか。だが切り身は売ってない。ある日、かれいに似た魚が並んでいた。新鮮そうだった。早速買って帰った。夕方、台所から家内の悲鳴が聞こえた。とんで行くと、かれいのはらわたを出しても出しても出てきて、山のようである。身は少ししかない。バルト海は旧ソ連時代汚染され、エストニアの港に原子力潜水艦の基地もあった。奇形ではないか。もう食べる気がしなかった。日本でどこの田舎に行っても食べられる海老すらここでは売ってない。老人には辛い食生活だ。

2004年EU加盟後のエストニアの生活

 1999年、我々が日本に帰った年、友好協会と共同で募金して200本の桜、大蝦夷山桜をエストニアに贈った。タリン市植物園で大事に育てられていたが、2004年春、日本大使館領事部入口前、ヤルベオツァ高校校庭、大統領府のあるカドリオルグ公園、動物園の市内4ヶ所に移植された。その一部の樹は花をつけたという。

2004年は5年に一度の大合唱祭もあり、我々は6月末から2ヶ月タリンにアパートを借りて、夏を過ごすことにした。99年の帰国以降も、世話した学生の結婚式に招ばれたり、殆ど毎年エストニアを訪れているが、数日間のホテル住まい、今回はEU加入後のエストニアの生活を体験できると楽しみであった。

 空港に着いて、まずトイレのきれいさに驚く。岸 恵子の『ベラルーシュの林檎』に詳しく書いてあった通り、旧共産圏のトイレの汚さは、口で表現できないほどだった。それが、自動給水の蛇口、液体石鹸、ティッシュと、成田空港以上である。以前はデパートやバスターミナルでも、きれいでもないのに、トイレの入口でお金を取っていた。カフェのトイレも鍵がかかっていた。それが全てフリーになった上に清潔である。空港だけでなく、レストランも同様である。

EUレベルという言葉がある。2,3年前に、ヤルヴェオツァ高校を訪問したとき、外国語担当のクリ先生が、教室も今EUレベルに改造中ですよと云っていたが、ピンとこなかった。色々な面でEUレベルに達しないと、EUに加盟できないのだ。

実は今年4月、エストニアがEU加入前、協会で桜をまた贈った。前回必要なかった書類を検疫所で要求された。加入前でもすでにEUの検疫法が適用されていたのだ。タリンに滞在中、インターネットで植物検疫のEUレベルを調べてみたら、英文でぎっしりA4  50ページの分量である。野菜、果物、花卉等の植物輸入に厳しいルールがあるようだ。

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