エストニア少年合唱団 日本公演開催
(1999.2/7〜2/16)
2月7日(日) |
来日→千歳空港 バスチャーター→札幌市内へ 雪祭り観光・歓迎会
大谷研修センター泊 |
2月8日(月) |
学校訪問(元町小)・道庁訪問 午後6時半〜札幌公演(KITARA)入場者850名 打ち上げ(吉田唯男札幌支部長担当) 大谷研修センター泊 |
2月9日(火) |
鹿追での昼食 午後6時半〜鹿追町公演(町民ホール)入場者450名 然別湖畔コタン祭り観光(協力者:三井福成氏) ホテル福原泊 |
2月10日(水) |
帯広学校訪問(緑園中) 午後6時半〜帯広公演(市民文化ホール)入場者520名 打ち上げ(実行委員長 林 昌宏氏) ホテル北海道泊
★打ち上げ会場へ音更ひょっとこ踊り保存会特別参加
(NHK北海道中ひざくりげでTV放映) |
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2月11日(木) 12:00エストニア少年合唱団釧路到着 |
ヴェンノラウル夫妻が率いる、エストニア少年合唱団と民族音楽奏者、岡田シーリエのお姉さんの日本・エストニア友好協会名誉会員アンネ・キカス、リーホ・キカス夫 妻の一行は、帯広からバスで12時過ぎに釧路に入り、昼食の場所「鮭番屋」で出迎えの人達と合流、再会の握手と楽しい食事を行った。
その後EESTI御用達のホテル山水に到着、多くの釧路の会員と合流し、少々の自由行動の後、一行は公演会場の市民文化会館に向かった。
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エストニア少年合唱団釧路公演開幕 |
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入念なリハーサルの後、午後6時半から開演、心配していた入場者数も1300名を越え、開演時間になっても、次から次に入場者が入り、その応対にうれしい悲鳴があがった。
岡田洋一事務局長から合唱団の紹介と民族楽器奏者の紹介が行われ、 エストニア共和国についての説明が行われた後、今回の釧路公演にあ わせて出席された、東京からの駐日エストニア大使Mark・Sinisso夫 妻、タリンからの当協会の名誉会員のアンネ・キカス夫妻が紹介され た。続いて佐藤美津子釧路公演実行委員長の歓迎の挨拶と開演の辞の後、ヴェンノ・ラウル指揮、奥様ピアノ伴奏する合唱団の清らかな歌声が鳴り響き始めた。ウィーン少年合唱団を凌ぐとも言われるそのハーモニーは市民文化会館の大ホールを埋め尽くした観客を魅了した。鳴り止まぬ拍手の中、数回のアンコールを最後にその歌声を惜しむかのように釧路での公演に幕がおりた。
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打ち上げパーティ |
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2月12日(金) 学校訪問・市役所・支庁訪問 |
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朝9時から河畔小学校、美原小学校の各学校を訪問し、生徒を前に美しい歌声を披露した。その後、釧路市役所を表敬し、市長との歓談の後、ロビーコンサートを行った。次に、釧路 支庁を表敬し、支庁長との歓談。これで釧路市内での日程は全て終了した。一行はニュー阿寒ホテルでの骨休めに一路阿寒湖畔へ出発。 |
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2月12日(金) 学校訪問・市役所・支庁訪問 |
夕方、阿寒湖畔のニュー阿寒ホテルに到着し、釧路から駆けつけた40名ほどの協会員と一緒に夕食の後、湖上氷祭りの会場へ見学に向かった。当初このお祭りのステージでコンサートの予定だったが、気温が低すぎるこ ともあり、子供たちの喉のことを考え、中止の予定だったが、会場に待ちわびていた1000人以上の観衆を前にしたヴェンノ・ラウル氏は、急きょミニコンサートを開催する希望を申し出てきた。そして雪で作 られたステージで、粉雪が舞い降りてくる中、透き通るような歌声を披露、聴衆の喜びの喝采を浴びていた。その後、ニュー阿寒ホテル成田総支配人のはからいでの打ち上げ花火を楽しんだ後、ホテルロビーの3階ステージで正装した合唱団はミニコンサートを開いた。そして、場所を変えて最後に打ち上げの催しが協会員との間で行われ、エストニアでの再会を約束して全ての行程が終了。その夜、子供たちは、温泉ではしゃいだり、北海道最後の夜を楽しんでいた。
日本の篠笛に挑戦する少年
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阿寒湖畔の氷上ステージで特別コンサート
湖畔での打ち上げ花火を見上げる少年達
日本の浴衣におどける少年
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2月13日(土)屈斜路・硫黄山観光 |
今日は、北海道を離れる日、その前に協会では川湯観光のプレゼント、ホテルをバスで出発し、屈斜路湖で白鳥見学、火山のない国からやってきた子供たちには、砂を掘るとお湯がで、白鳥の立ち寄るこの屈斜路湖にはきっと珍しいものに思えただろう、その屈斜路湖から硫黄山へ、硫黄山の中腹まで登り、噴気する火山の山を眼前にして何を思ったのだろう。しかし、この硫化水素の噴煙を吸い込んで明後日からのコンサートは大丈夫かしらん? |
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そして別れの釧路空港 |
ようやく北海道での日程を終えて東京へ向かう。毎日の合唱ツアー本当にご苦労様でした。どうもありがとう。空港では少年達はそれまでの様子とは異なり、少々疲れたようで、どことなく元気がない。もう少しお話ができたら良かったな。これからまだ、東京での公演が控えておりますが、元気で、Head aega(さようなら)。
VENNO・LAUL先生、スールアエタ(どうもありがとうございました)今度は我々がエストニアを訪問させていただきます。
Kohtume veel(またお会いしましょう)という別れの言葉で一行は飛び立った。
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東京での日程
2月14日 東京近郊を観光する。第1回東京公演(イイノホール)
2月15日 第2回東京公演(品川教会グロリアチャペル)
2月16日 浅草観光
2月17日 帰国 東京関連は、全て担当 東京支部後藤田純生氏
今回は洋一・シーリエは一行の全ての行程に同行しており、本当キカス夫妻にお疲れさまでした。でも、お陰様で益々エストニアが好きになりました。ありがとうございました。
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キカス夫妻は喜んで帰られたでしょうか?
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