TAMM No.8より

17日発行の新聞記事

左から
ユリ園長、タリン副市長、藤井大使

桜の苗木贈呈・植樹セレモニー開催される
--- Tallinn Botanic Garden ---
5月18日のエストニアの新聞記事要約

エストニアに関心を持つ300人の日本人のおかげで、タリンとタルトゥは、昨日200本の桜の苗木をもらった。それらはエストニアの気候に慣れた後、街中の新しい場所で成長していく。桜を贈るというアイデアはヤルヴェオツア高校で日本語を教えていた山本英二氏の夫人のもので、夫人の呼び掛けに応えて北海道に住む300人の日本エストニア友好協会のメンバーが募金を集め、200本の苗木の購入とエストニアへの輸送を計画した。エストニア日本協会長のヘイキバラステ氏によると、150本の桜はタリンにそのまま残り、50本はタルトゥの植物園へ行き、2年後にタルトゥ市街に植えられる。植物園の園長のユリ・オット氏は、植物園が贈り物をもらうことはそうあることではなく、純潔さと情熱を象徴する桜が日本から贈られたことに大変喜んでいる、自然は全世界の人々を一つにする、日本の国の木がエストニアに寄贈されたということは、エストニアと日本の良好な関係を強調するものだ。と述べた。タリン植物園への桜の木は日本側を代表して藤井大使から贈呈された

 左写真・17日Tallinn Botanic Gardenでのセレモニー
    出席者 藤井大使
    Tallinn副市長 HEIGO KALDRA 氏
    Tallinn Botanic Garden園長ユリ・オット氏
    Tartu副市長

 
       ↑左藤井大使 右ユリ園長

     1999年5月撮影  桜植樹風景
←タリン副市長

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タリン市長からエストニア・日本友好協会への手紙

 

尊敬するヘイキ・バラステ氏へ

バラステ氏と桜プロジェクトに関係するエストニア側、日本側全ての皆様方が計画されている素晴らしい贈り物に関してお礼を申し上げます。私達としてはエストニア国境における必要な書類等の作成手続きをし、タリン植物園とエストニア樹木協会とが協力して苗木を美しい街路樹に育てることに責任を持つことをお約束いたします。皆様のご希望通り、タルトゥ市に直ちに苗木50本を贈ります。同時に苗木を何本かラツビナ高等造園学校とルーア高等森林学校に贈ることを検討しております。日本の民族的シンボルである桜がエストニアにすくすくと成長し、桜プロジェクトと今後も友好関係を持つことを希望しつつ。

                タリン市長 イヴィ・エーンマー

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Heikki Vallaste氏からの手紙

Heikki Vallaste氏      手 紙

エストニア日本協会のメンバー


親愛なる中村会長

日本エストニア友好協会の皆様、そしてこの度の桜プロジェクトに関係された皆様,、young Sakura treesという、あなた方の素晴らしい贈り物に心から感謝申し上げます。苗木は1999年5月3日にタリンに届きました。Tallinn Botanic 植物園の専門家によると、200本の苗木は全て非常に良い状態であるとのことです。公式な引き渡しと植え付けのセレモニーは1999年5月17日にTallinn Botanic植物園で執り行われました。このセレモニーの新聞記事とその模様を撮ったいくつかの写真を同封しますので見て下さい。私達は2、3年のうちにエストニア国民やエストニアを訪れる人達がタリンやタルトゥで、桜の木に咲く美しい桜花をエンジョイすることが出来ることを楽しみにしております。

エストニア日本協会を代表して     親愛なるあなた達へ     ヘイキ バラステ


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 この度 桜の苗木200本を4月に贈呈することになったのだが、今回はエストニアの国が正式に桜の贈呈を受けることにった。そこまでに至るには、やはり岡田事務局長の人並みはずれた努力が伺えるのである。その道のりをご紹介しよう。2002年の秋も深まった10月に岡田夫妻がシーリエの故郷エストニアに出かけ、ひょんなことから大統領夫人を表敬する機会を得た。その折、岡田氏いつもの熱い語り口で、当協会の活動、釧路市に関する話をしたのだった。折りしも、この大統領夫人という方は、日頃エストニアの芸術、文化、伝統の保存、さらには対外活動に積極的に取り組んでいる方だったのだ、その釧路との関わりについて、興味深くその話を聞き、再開を約束して別れた。

そして2年後の2004年の厳冬の2月に再度岡田夫妻はエストニアを訪れ、再度大統領夫人を表敬、そして今度は桜が日本人の心となった経過の説明、そして、そこで正式に桜の贈呈を申し出たところ、日本に大変に興味を抱いている婦人より感謝の意が表され、正式にエストニア国民への協会からのプレゼントとして国が受け取るという形になった。それを今回4月に200本送付するのだが、受け取りは大統領夫人宛に送付することになり、国としての植樹式を行う旨が伝えられた。

エストニアの野に蝦夷桜を根づかせ、桜林を形成するには、今後も継続して贈っていかなくてはいけないものと思われます。

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エストニアは、1997年に旧市街が世界文化遺産に登録されてから、次には、バルト三国を含めて、歌と踊りの祭典が、世界無形文化遺産、同時に、エストニアのキフヌ島にける生活文化がやはり世界無形文化遺産に登録された。このことは、エストニア民族にとっては、世界に誇れる財産となった。

1997 タリン歴史地区(旧市街)が世界遺産に登録(文化遺産)

2003 エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト諸国の歌と踊りの祭典が世界無形文化遺産に

2003 エストニアの島 KIHNU ILAND無形文化遺産に

世界無形文化遺産
建築物や遺跡など、不動産の有形文化財を対象にしたのが世界文化遺産、これに相対し、またこれを補うために考え出されたのが、「人類の口承および無形遺産の傑作の宣言」で通称「無形文化遺産」と言われている。選定対象は、無形民俗文化で、言語・歌唱・演劇・風俗・風習・祭礼・儀礼などである。無形文化は近代化にともなって消滅の危機に瀕するものが多く、早急に保護する必要があるといわれている。2年に1回の登録となっており、各国第1件だけとなる。2001年に第1回の2001年、第2回が2003年となっている。これまで合わせて47件が登録されている。KIHNU島においては、島における、伝統的生活文化が世紀を超えて現存されていることが認められたもの。しかし、やはり、近代化の波にその伝統的な生活文化が消滅の危機に瀕している
TAMMひろば


































              

VENNO LAUL教授からのお礼の手紙

日本の友人達に

 エストニア少年合唱団は無事タリンに着きました。子供達はみんな健康で今回の旅行にとても満足しています。私も私の妻も。日本・エストニア友好協会の皆様のもてなしは考えられないほど素晴らしかったです。今回の旅全てが我々にとって大きな成功でした。これもひとえに実行委員会並びに協会の皆様によるものです。私達は全てのツアーの内容に、そして素晴らしい企画に感激いたしました。私達は今度はタリンで皆様を待っています。もう一度言いたい、あなた達の最高のもてなし、パワーに敬服いたしました。偉大な事です。最高の敬意を込めてあなた達の友人  
1999年2月19日

              

                    


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