5月21日、本年度日本・エストニア友好協会総会が東京都歴史的建造物である日立目白クラブで開催されました。
新年度当日の顧問、名誉会員を除く会員数85名に対し、出席者17名、ハガキやメールで回答くださった方々32名で過半数を超え、総会は成立。事業報告、会計報告、監査報告および事業案等が無事承認されました。出席してくださった皆様、ハガキやメールで回答を寄せてくださった皆様ありがとうございました。
来年の任期満了まで昨年度に続き、下記役員メンバーが運営して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
会 長 吉野忠彦
副会長 西川多嘉子
理 事 野々垣智樹 (会計)
理 事 曽根原千夏(事務局)
理 事 小出聡
監 事 宮地康彦
事務局長 荒井秀子
2018年秋に駐日エストニア共和国大使として来日されたレイナルト大使夫妻はこの7月に、また8年もの長い間駐日大使館を支えてこられたカングロ公使参事官は8月に任期を終え、帰国の途に就かれます。
総会終了後、永年のご厚誼に感謝して、送別会を催しました。感謝の意を込めた吉野会長の言葉に続き、レイナルト大使による就任時からの思い出なども語られ、長谷川顧問の乾杯のご発声で、目も楽しませてくれるフレンチディナーとともに歓談タイムが始まりました。立食での会を希望しましたが、コロナの影響もあり、5月まではテーブルでのディナー形式とのことでしたが、テーブルごとに会話が弾みました。
デザートの時間となり、ピアニスト吉岡裕子さん(会員)による、シサスクとスメラの作品が送別の曲として演奏され、宴もたけなわとなりました。さらに協会から大使ご夫妻には錫の酒器セット、公使参事官には漆器の器を記念品として贈呈しました。またご家族で参加してくださった清水さん一家の3人のお嬢さんたちから手渡された花のプレゼントには御三方は満面の笑みを浮かべておられました。最後に出席者全員が一言ずつ書いた色紙をお贈りし、和やかな雰囲気の中小出理事の一本締めでお開きとなりました。
3月28日、東京都国立市の児童青少年課及びまちの振興課の協働事業である「スタディバスツアー事業」として、国立市内の中高生がエストニア大使館を訪問しました。これは都内の大使館や国際機関を訪問し、職員の方々と交流しその国を勉強しようという「グローバルカフェ事業」の一環です。
昨年から国立市における、エストニア発祥のグローバルムーブメント「WORLD CLEANUP DAY」の後援、さらにWCD2022当日にカングロ公使が国立市を訪問した際には、永見市長にもお迎えいただいた経緯もあり、国立市でエストニアへの関心が高まったことが背景にあります。
「スタディバスツアー事業」の参加申し込みは募集開始20分で満員になったそう。エストニア大使館では、カングロ公使によるエストニアの概要のプレゼンの後、中高生たちは練習してきた英語で質問に挑戦。公使から英語で返答するという緊張した時が流れましたが、それぞれの質問が終わった時にはホッとして皆さん満足した面持ちでした。緊張がほぐれた時には、Kahootによるプレゼンの復習クイズゲームが行われ、会場は大いに盛り上がりました。カイレ・ユルゲンソン大使夫人の手作りケーキも人気で、企画を準備してこられた市の職員の皆様、参加した中高生たちからもエストニアに行ってみたいとの声が上がっていました。
国立市の皆さんのエストニアに関する関心はますます深くなっています。当協会も引き続き協力していく所存です。
エストニアの運転手のいない小型の自動運転バスMiCaが、ソフトバンクの自動運転推進会社BOLDLYにより日本に導入されました。
エストニアのAuve Tech社製の小型自動運転バスで、現在タリン空港とウレミステのビジネス地区を30km/hで走行しています。日本(茨城県境町)では20km/hとなるようです。
MiCaは8人乗り。長さ4.2メートル、幅1.8メートル、高さ2.5メートルで、7つのセンサーと8台のカメラを搭載。人や車などの障害物を検知すると自動で回避し、完全自律型の無人運転が可能ということだそうです。茨城県の公道をかわいいMicaが走る姿を見る日も近いようです。
5月15日はタリンデー。例年通り、首相(カヤ・カラス首相)とタリン市長(ミハイル・クルヴァルト市長)が旧市街のルヒケ・ヤルグ(短い足)通りの城門を両側から開けて出会うという儀式でお祝いのイベントが始まりましたが、今年は特別な年を迎えています。
1248年タリン(当時、タリンはレヴァルと呼ばれていた)は、リューベックを盟主とする欧州都市連盟の都市法の権利を取得、交易権やギルド結成権などの諸権利があたえられました。これらの権利を得た町は周辺の町より力を持ち「都市(City)」とよばれ、自治権や課税権も与えられました。つまりタリンはハンザ同盟都市の仲間入りを果たしてから775年目ということです。
下記でそのタリンデー開会式の模様の写真を見ることができます。
2010年7月に長年本部として活発な活動を続けてきた釧路市から本部を東京に移転。それまで東京支部として釧路の役員の皆さんをお手本として続けてきた東京の会員にとって、不安なスタートを切りましたが、把瑠都関の大関昇進などの祝い事などを通し、駐日エストニア大使館(当時トイヴォ・タサ大使)との交流も盛んになってきていました。
しかし同時に残念なことには、1996年より2年半、タリンのヤルヴェオッツァ高校で初代日本語教師を務めておられた、当協会理事山本英二氏が他界、東京地区における重鎮を失いました。2010年9月のお別れ会にはエストニア日本協会ヘイッキ・ヴァラステ会長もタリンから駆けつけ、故人を偲びました。
2011年は、エストニア独立回復90周年であり、日本とエストニアの国交回復20周年を迎えた年でした。そのため、一年かけて関連行事を企画。
2月 エストニアミュージックプロジェクト(EMP)によるピアノコンサート
3月 (4月に延期)・エストニア料理講習会
5月 GAM公募展でエストニアの子供たちの絵画展
8月 「歌う革命」ドキュメンタリー映画上映会
11月 バルト三国記念週間(三国の大使館・友好協会、音楽協会共催)
12月クリスマス会
と3月の東日本大震災のショックを受けながらも、盛りだくさんの一年をこなしました。
合唱が盛んでエストニアの合唱団も訪問したことのある東日本一帯に東日本大震災が起こったその衝撃はエストニアにも伝わり、少女合唱団Ellerheinが中心となって二グリステ教会で行われたチャリティコンサートの収録ビデオが作成され、チャリティ募金127,180円が当協会宛に送られて来ました。ビデオと募金は全日本合唱連盟東北支部に贈呈しました。また、エストニアの友人たちから沢山の支援メールも届き、友好関係のありがたさをひしひしと感じました。
東日本大震災の当日は、翌日にエストニア料理教室を控えていて、下準備としてジャガイモを茹でていた最中だったことも、記憶に新しいところです。当然ながら、料理教室は翌月に延期されましたが、キャンセルする人もなく、初めてエストニア料理に挑戦した参加者の皆さんには大いに喜ばれました。
2011年秋には日本とバルト三国国交樹立90周年と国交回復20周年を記念し、各国大使館協力の元、リトアニアとラトビアの代表と協力してバルトウィークを開催。音楽あり、展示あり、料理あり、映画あり、ワークショップありのイベント満載の1週間を開催しました。三国を代表する団体が一致団結して開催した初めての協力イベントとなりました。
エストニアからは、EMPの秋場さんと吉岡さんによるピアノコンサートとエストニアの歌手マーリアさんと椎名トリオによる演奏。大使館のモルテルさんによるエストニア料理指導や平井カトリンさんによるフラワーアレンジメントのワークショップ、松村一登顧問(東京大学名誉教授)と他の二国代表による鼎談、その他など多彩な内容のバルトウィークでした。
2013年にはエストニア文化セミナーを開始、以来さまざまなタイトルで多くの講師の皆さんに興味深い内容のセミナーで講演していただきました。また、初めてのアーティストインレジデンスで画家の梅崎弘氏にエストニアに行ってもらいました。生活面では当時の駐日大使であられた、トイヴォ・タサ元大使のお父様にお世話になり、国立図書館での個展ではエストニア日本協会のお世話になりました。その活動は2年後にエストニアの現代画家カイド・オレ氏招聘に繋がります。
2014年は華やかな年だったと思います。1月タルトゥアカデミック男声合唱団(TAM・タルトゥ大学のOB合唱団)来日ツアーを主催、東北・東京・宝塚・京都で公演しつつ、各地の合唱団や学校と交流を重ね、双方に大変喜ばれました。2月には把瑠都関の引退断髪式。式が終わって国技館を出たら大雪になっていて、さすがエストニア人と思ったことをよく覚えています。また、7月には「歌と踊りの祭典ツアー」でエストニアを訪問、エストニア日本協会のメンバーや日本大使館関係者を招待して焼きそばやおでんや、日本大使館差し入れのお寿司などで和食パーティを開いて親交を深め、大いに盛り上がりました。
TAMの皆さんからはJEFA会員のために、日本訪問でお世話になったからと、タリン旧市街のラエコヤ広場で歌のプレゼント。観光客も大いに喜んで最高の雰囲気となり、心と心の交流が成り立った瞬間でした。
そのほかこの年は要人の往来も盛んになり始め、イルヴェス元大統領夫妻や外務大臣ご一行も来日、その都度お手伝いをさせていただきました。秋にはコレギウム・ムジカーレのコンサートを企画すると、思いがけずちょうど日本から高松宮殿下記念世界文化賞を受けるために来日中のアルヴォ・ペルト氏と引退してタレントになっていた把瑠都氏や指揮者スヴェン・トゥール氏など錚々たるメンバーが集まる結果となり夢心地だったと言っても過言ではありませんでした。
2015年にはカンネル奏者のクリスティ・ミュリング氏、作曲家ウルマス・シサスク氏やハリュマー漁業連盟一行、そしてジャーナリストのリーナ・ルイク氏やカイド・オレ氏が来日、その都度お世話させていただきました。友好協会として熟成期を迎えた時期であったように思います。
つづく