日本・エストニア友好協会本部機能東京へ移行 2010年7月24日

日本・エストニア友好協会会長(1995〜2010)挨拶
中村 正利


1991年旧ソ連邦から独立したエストニア 共和国、その知らせを聞いた故岡田シーリエが友人の前で初めてエストニア語で涙を流しながらその喜びを伝えた。 その時同席していた友人が中心となって翌年の1992年7月、日本・エストニア友好協会が発足(初代会長:故網田静雄)、 エストニアとの交流が始まりました。
その年の10月には初めてのエストニア訪問の旅を決行しました。エストニア教会を通じて衣類を送ったり、 エストニアから合唱団、政治家、文化人、大学教授など様々な職種の人たちに釧路市まで来て頂いて講演会・ 演奏会など精力的に活動を続けてまいりました。1995年7月にエレルヘイン少女合唱団を招聘し札幌・釧路・ 北見・根室・阿寒湖畔で公演し、多くの思い出が出来ました。その2カ月後の9月に故網田静雄会長が急逝して、 一度は止めようと思った協会を続ける決断もシーリエの一言でした。
その後2回のエストニアの旅、エストニア 少年合唱団の招聘など精力的に活動してまいりました。1997年には札幌支部が、1998年には東京支部が開設され、 協会の活動も活発になりました。1999年には会員のご支援のもとに蝦夷山桜の苗木200本をエストニアに送ること が出来ました。今でも日本大使館、ヤルヴェオッツァ高校、カドリオルグ公園、タルツ大学などに植樹され大きく 育って数年前から美しい花を咲かせています。
そして2007年8月10日いつも日本・エストニア友好協会の中心にいた シーリエさんが逝去されました。一周忌の「偲ぶ会」が釧路とタリンで行われ、タリン・ボタニカルガーデンで行われた 「偲ぶ会」にはエレルヘインが参列し、指揮者のティア先生が来日公演を企画され釧路に来ることが決まりました。 その企画運営はすべて東京支部事務局の荒井さんにお願いし、全国ツアーが出来ました。
今、東京には小玉ウーラさんをはじめ多くのエストニアの留学生が存住し、エストニア大使館があり、 エストニアの情報も早く得る事が出来、東京支部の活動も活発になって来ております。これを機に日本・ エストニア友好協会の本部を釧路から東京へ移行して新しいスタートを切っていただく事を理事会で協議 し承認されました。この事は東京支部の吉野支部長始め役員の皆様に快諾いただきました。
これまでの18年間支えて頂いた本部会員の皆さま、そして協力していただいた理事者の皆さまがいたから こそ今迄続けてこられました、心から感謝しております。これからもエストニアの為に会員として出来る 事は協力していく所存ですので皆様もよろしくお願い致します。
 新旧会長固い握手を交わして
 釧路会員の皆さん今後ともよろしく


日本・エストニア友好協会新会長(2010〜)挨拶
吉野 忠彦


上記の中村会長の思いを受け、1998年より活動してきた日本・エストニア友好協会東京支部は その活動に幕を降ろし、発展的解消をすることとなりました。91年から活動されてきた釧路本部の方々の苦渋の ご決断に深い敬意を表するとともに、これまで支部の活動を支えて下さった多くの支部の会員の方々に篤くお礼 を申し上げたいと思います。
思えば、ヘイキ・ヴァラステ臨時代理大使から支部設立のお話しを頂いて東京駅の近くで中村さんや荒井さんに お会いしてから12年がたちました。その間本当に色々なことがありましたが、荒井事務局長の熱意にリードされ、 村山副支部長にサポートされる形で何とかこなして参りました。その中でもやはりクライマックスは丁度1年前 のエレルヘイン少女合唱団の東京公演でした。皇后陛下が急にお見えになることになって、若干不協和音があっ た幹事の間でも、もはや失敗は許されないと全員一丸となって記念に残るコンサートと交歓会を大成功のうちに 実現できました。
その後、それをきっかけに、人心一新による新たな出発をと支部長辞任を考えましたが、今の体制でもう2年間 をという今春の総会の決議があったところへ今回の釧路本部の解散、東京支部への本部移行のお話しが突如持ち 上がり、緊急の幹部会で全員一致の下お引き受けすることが決定しました。その時、最も熱心に本部移行に賛意 を表されたのは故山本英二さんでした。山本さんには支部の監事として4年間在任頂き、常に大所高所からのご 指導を頂きましたが、エレルヘイン来日公演の直後から体調が思わしくなくなられ、幹部会にもご欠席が多くな りました。そして7月初めに辞任の申出を小職あてに頂き、何度か慰留をさせて頂いたのですが、「何とか頑張 って釧路の総会へは是非参加したい、その総会の7月24日を以て渋谷直衛氏と正式に監事を交代したい」という 強いご意思に打たれ引き下がざるを得ませんでした。しかし、その総会直前に突如逝去されたのは本当に、本当 に残念でなりません。ここに山本さんのご冥福をお祈りするとともにそのご遺志を受け継ぎ、又釧路の会員の思 いを大切にしながら新たな形で日本・エストニア友好協会をここ東京で発展させて行きたいと思いますので、会 員の皆様の一層のご理解、ご協力を賜りますようお願い申しあげます。

 協会旗をバトンタッチ
駐日エストニア大使館を訪問し新体制の報告を

新しい駐日エストニア特命全権大使として9月初旬に来日、着任されたばかりのトイヴォ・ タサ大使と大使館員にエストニア友好協会本部機能移行の報告およびご挨拶をするため、9月28日吉野新会長、村山新副会長、荒井事務局長が エストニア大使館を訪問しました。
タサ大使はタルト大学でエストニア文献学および18〜19世紀におけるエストニアとドイツの文化的繋がりの 研究を専攻してこられた文化人。雑誌の編集長やオーストリア、スイス、チェコ、スロバキア、スロヴェニア、ハンガリー、クロアチアなどの大使を歴任してこられた経験豊富な大使とお見受けしました。 1989年から独立回復運動の時期にはEstonian Instituteの一員として重要な活動もして来られています。
ミラー大使まではオーストラリア、ニュージーランド大使も兼務でしたたが、ありがたいことにタサ大使は日本のみの全権特命大使 として着任されたので、今後さらに大使館と日本・エストニア友好協会、双方の連携を深めていくことで合意しました。

 エストニア大使館にて、トイヴォ・タサ新大使と