アーティスト・イン・レジデンスinエストニア
梅崎 弘 エストニアを描く
現地レポート

7月30日

明日から大使のアパートに移動するけど ネット使えないので 取りあえず最近の話題をアップ

2週間ほど雨が多く初冬を思わせる寒さだっのにfestival最終日は晴天 一気に初夏の陽気。

しかし体が付いて行きません だるい!

       

       

       

     

         

       

       



7月22日

ヴィリヤンディ市は人口2万人 コンサートホール2か所、映画館4ヶ所、美術館 何と18ヶ所(;一_一)

アートギャラリー6ヶ所、 キャンプサイト22ヶ所 どれも昔の建物をリノベーションした物だったり 古いまま使っていたりとまちまちですが  それなりに味が有り上手に運営されているなと感心します。特に大きな工場や企業が有るわけでは無く 経済力でははるかに日本に及ばないのに  日本とは町づくりの方向が全く違うよう様に感じます。

今日はエストニア最大の音楽フェスティバル4日間続いたフィナーレ 日本を初め世界的に活躍しているミュージシャンも来てたり  連日沢山のプログラムが何と5~12€とリーズナブルな値段で観れるのですね。因みにこの期間はヴィリヤンディの人口は2倊に膨れ  明け方まで人で溢れてます。なのに残念ながらどれも観に行かれなかった(T_T) 作品出来なくて正直それどころでは無い(`´)

ホテルのお客やスタッフ全員フェスティバルに出掛けてフェスティバルの音を聞きながら 一人メール(**〆)

大使のお父さんの隣のアパートが空いているので 30日にはエストニア来て3度目の引っ越し アパートはネット環境が無いので  8日の搬入でタリンに行くまではメール出来ないかも? 

       

       

       

     


7月22日

フィンランドの立体コラージュ作家 アンナさんのオープニングとワークショップ

マリさんからオープニングの招待が有り アンナさんを紹介され ワークショップに誘われた。
ですがコラージュなら特に興味無かったけど どうも誘いを断れ無いタイプですから仕方なく次の日に参加

しかしやってみると意外と面白い 今度日本に帰ったら芸術祭でやろう!

       

       

       

       

7月22日

いよいよ時間が無くなり 来週初めにはタサ大使も視察に来るし 8月初めには搬入\(◎o◎)/!

ヴィリヤンディは5日ほど前から急に寒くなりセーター着て仕事 しかし夏から一気に初冬の寒さに成り昨日から喉が痛くて頭痛(**〆)

タサ邸は可なり冷えるのにTシャツ出来てしまった日が行けなかった!しかし作品が出来ない限りゆっくりすることは許されない(`´)

夜は何時もタサ大使のお父さんが夕飯を用意してくれ 5時半に携帯で呼ばれる。しかしお父さんはエストニア語ほかはロシア語ドイツ語  英語はソ連時代は勉強できなかったなので ほとんど話せない。ですがどう訳か意味上明な会話をしながら夕食を共にするの日課に成った。

  お父さんはけっこう料理が上手ですが ただ作る量が何時も凄い\(◎o◎)/! そして朝ごはんだと持たされるケーキやヨーグルトも・・・(**〆)

全く言葉の通じない風来坊が突然やって来たのに とにかく色々と心配してくれる優しさに まるで自分の親のような気がして来ます。

       

       

  

7月16日

現代美術館デェレクターのティックさんのサマーハウスに招待 っと云うよりほとんど車に乗せられ連行(;一_一) 
休みはほとんどここで過ごすとかで エストニア人のバカンスと老後の世界を見ることが出来ました。
全く農薬を使わないのに虫もい付いてないし立派に育った夏野菜には驚きです。
しかし広いので毎週の芝刈りは大変なようですね・・・!
夕食の後は焚火を囲んで夜が更けるまで っと云っても11時でもまだ明るく真夜中過ぎてやっと雰囲気で出てくる。
Europe放浪の時代は野宿すると必ず焚火して夕食作ってたから 鍋は真黒に煤けてたな・・・!
やっぱり野宿するな北欧は最高 っまエストニアも良いですが(*^_^*)

       

       

       

       

       

       

       

       



7月15日

制作に追われて久しぶりのブログ
  上足している画材を地元の建材店であれこれ取り寄せて実験 久しぶりに研究出来たけど 今やることでは無かった。
結局下塗りの段階で大幅に時間を使ってしまい エストニア大使が見に来るまでに 下描き位までしかできそうにない かなり絶望的に追い込まれた。
画材も上足して思うように描けないのと アトリエに借りてるホテルのリビングが狭い!
大使のお父さんとやっと会え その相談に行ったら そのまま屋敷の改装中の一部を使えることに(T_T)

ソ連時代に国に没収され 独立後に返還 やっと使えるようになったら放火され 一部電気会社に貸して 残りは改装中。
このお父さんとても世話好きで愛情深い。
何時も夕飯を用意して待っていてくれる。
しかしちょっと量が多いのは辛いですが・・・。
4人前作って お父さんが一皿 私が2皿 残りの1皿は次の日の朝食にと持たされる。
とにかくスープは食べ終わらないうちに又入れてくれるし 肉団子やポテトもどんどん追加 食べても食べても終わらない~゜・_・゜~
因みにお父さんはエストニア語以外は ロシア語ドイツ語しかできないので 会話が成り立たない?
先日レストランで遅いランチ スープとランチメニューの鳥とマッシュルームのクレープたのだら 何とこれが前菜 豚肉のソテーチーズ焼きがメイン  ポルトガルで大食は慣れていたのに最近小食だったせいか流石に残してしまった(;一_一)
その日は夕食は無しだと思ったら しっかり夕食有り\(◎o◎)/!
いくらなんでも食べれないので 苺だけと思ったのが浅はか どんぶり1っぱいだされ 私の胃の中は非常事態\(゜ロ\)(/ロ゜)/

連日こんな日が続いています。
一部屋空いてるからホテルを出てここに来なさいと云ってくれるのですが・・・。

帰りもわざわざ見送ってくれる。

       

       

       

         

         

 



6月25日

先週まで居た職人たち。木枠作りに苦労してるの見て作業機材を貸してくれ助かった。
彼らは何時も夜遅くまでどんなに寒くても外で飲みながら何やら深刻そうな顔をして話している。 親方を始めみんな気難しそうで愛想ない。キッチンは一緒だからちょっと挨拶する程度。

6月の初めはエストニアも真夏の暑さ 日なたは30℃超えているし 日陰仕事しても汗が出る。
珍しく無愛想な親方が寄って来て いきなり1.5リットルのガス水をくれた。
何時も夕飯はパンとハムとチーズとビール。有る日 職人達の中で一番愛想のいいカールが来て  ガーデンバーベキューに誘ってくれ 初めてみんなと飲んだ。気難しいと思っていただけで 彼らにして見れば以前から気になる存在だったのかも・・・。 やはり飲んで食べてあれこれ話していると一気に気心が知れ 妙に仲間に成った様な気がしてすっかり冷え込んで居るのに ポカポカとした気持ちに成った。

ポーランドの姦し3人組も国に帰り 又職人たちも仕事が終わってそれぞれの国へ帰って行き このホテルもすっかり淋しくなった。

ショートステイの旅行者もいるけど 彼らと過ごした時間ほどの密度は無い。
さてこれから誰もいないキッチンで軽い夕食(**〆)

       

       

       

   



6月22日

やっと木枠完成。

向かいの部屋に2週間ほど滞在してた国際交流で来ていたポーランドの元気いっぱいの姦し3人組。
  初めは何者かと睨まれ 挨拶もしてくれなかったのに 何かと世話や居てくれるとても人懐っこい人達・・・に突然パーティに招待。
その代わりホテルの食堂の壁に水彩画を展示するのをお手伝い。
水彩紙をどうやって壁に張るのかと思ったら 何と練りゴムのような接着剤が有り 簡単に壁に張ったり剥がしたり出来る優れモノを持っていた。
こんなのでは直ぐ剥がれ落ちるだろうと思ったら4日間OK。
以前子ども達の描いた紙の絵を展示するのに 凄く苦労したのに こんな事が許されるのかと唖然\(゜ロ\)(/ロ゜)/
この企画は3年前から地元ヴィリヤンディ市とポーランドの町との国際文化交流で 今年が最後だとか。
次は日本とやろうとディレクター云われましたが 今はそれどころではないので・・・。
しかしポーランドの画家メラニアさん盲学校でも絵を教えてるとかで 思わず大牟田の芸術祭が頭をよぎりました!
クリスティーナさんが一人で朝からポーランド料理を作ってくれ 乾杯用のヴォッカベースのスペシャルカクテルも用意してくれました

肉団子揚げもけっこうしっかりとした味で 豚肉と野菜のポーランド風炒め物も 普段パンとハムの生活者にはとても美味でした(T_T) メガネをかけたエバさんだけが英語が出来るので 何かと通訳してくれますがポーランド語が混じり  それを更に通訳したディレクターのアンナさんもエストニア語に突然成ったりで 会話に成らない時も有るパーティでしたが 楽しいひと時でした。

       

       

       

       

     



6月12日

タリン市から南東160キロに有るヴィリヤンディで木枠加工作業開始。
美術協会の人に製材所に案内して貰い 安い荒木を200メートル分手に入れる。
しかし荒木ですから カンナを掛けないととても使えないので 電気丸のこや電気カンナを3日間レンタル。
まずはカンナがけから 此方は220ボルトだから凄いパワー しっかり押さえないと跳んで行きそう。
初日は何とかカンナがけまで終わったけど 全身カンナくずと誇りで真っ白 おまけに右腕が痺れて握力も無くなり腰痛も出て 這うようにして部屋に戻る。

とにかく時間が無いので次の日もゆっくり寝てる訳にはいかず パンにチーズで朝食終わり早速作業開始。
2日目は各寸法に切りだし しかしまっすぐ効率よく切るには色々付属品がいるけどそんなものはここには無いので 自分で作って遣るしかない。
3日目は溝加工
しかしこの電気丸のこ 石でも切ったのか切れ味が悪い 更にブレードが曲がっているので まっすぐ切れない。

木枠の制作は 家のリフォームするのと同じくらい色々な大工道具がいる。
特に200号クラスの大きな木枠は大変。
これまでは木工作業所を貸して貰ったり 大工の知り合いが手伝ってくれたのですが今回はそんな甘い事は許されない とにかく一人でやりぬくしかない。

月曜に電気道具を返し いよいよ手作業~゜・_・゜~

とにかく初めてのエストニアでほとんど現地の状況が分からなかったので なるべく必要なものは日本から持ってきた。
しかしここは旧ソ連時代とは違い 経済成長著しいエストニア 町中にはベンツやBMW等高級車は当たり前 クリーニング配達員もアウディでしたから・・・。
当然ホームセンターはあちこちに有り 日本製のマキタからリョウビまで売っているのに愕然とした。

やはり電気ドライバー無くては仕事にならないので 一番安いリョウビをタリンで買った。
っがしかし ドリルはヴィリヤンディに売って無い 仕方なくまさかのドリル作り(**〆)

とにかく四苦八苦しながらの作業を見かねた フィンランドから出稼ぎに来ていた無愛想な親方が 何と電気道具一式貸してくれることに・・・!

1日10時間以上も働いている真面目な仕事ぶりと 日本から持ってきたノコ見て 見込まれたのでしょうか?

因みにこの時期どこも庭の芝刈り日和 レセプションのラエルさんもエンジン芝刈り機で汗だくでガンガン刈ってました。 ですがここは傾斜地 けっこう起伏も有り重い芝刈り機を使うのは男でも大変な作業。電気カンナが重いと嘆いていた私が恥ずかしい\(◎o◎)/!

欲を言うならもっと早く貸してほしかったのですが・・・m(__)m

       

       

       

       

       

       

       

  



6月12日

今日は土曜日 久しぶりに打ち合わせもなく一人で旧市街の散策。
朝は10度以下で霧が出てたけど昼過ぎには良い天気で暑いくらい 澄みきった青空がまぶしい。

市内まではバスで1.6EURドライバーさんに支払うのですが この日は小銭がなく2EUR渡すと お釣り無いと 返してくれ乗せてくれた。金額でなくその心意気にちょっといい気分。

旧市街に入ると いきなり沢山の観光客が溢れ 広場や石畳の道にCafeテラスが並んで カラフルな衣装を着た女性たちが呼び込み。 ドイツ ロシア イタリアの観光客の中に何とポルトガル語も聞こえて来て まさかこんな遠くまで来たのかと流石世界遺産の集客力は凄い。 

旧市街はギルドで栄えた街並みや城壁がそのまま残っていて 街全体が綺麗でまるでおとぎの国。
タリンは穴場です 北欧の旅にはぜひルート入れる事請け合いです。

久しぶりに地図を片手の異邦人 小高い城壁に登ると薄らと汗ばみ バルト海から吹き付ける早春の冷たい風が気持ち良かった。 

旧ソ連占領でロシア系イメージですが エストニア人はフィン系でフィンランド人と同じ人種。
文化や商習慣は北欧の影響を強く受けています。
しかしその地理的に優位な事情から、歴史上多くの国の支配受け 1991年に独立を回復。
彼らを一言で表現するならば「北ヨーロッパの自然を愛する素朴な人々《だそうです。

青い眼は一見無表情で冷たそうですが どこで何を聞いてもとても親切で優し印象です。
しかしいきなり若い女性にカメラ向けたら睨まれてしまい 慌てて手を振ったらにっこり・・・! 
  どこで有っても人物撮影は了解を取ってからにしましょう。

         

                       



6月5日

明日はエストニアの日本大使館主催のランチに招待されたのでタリン行き  7日8日はコレクターの弁護士ご夫婦と娘さんがエストニアに立ち寄るのでほとんど知らないのに案内・・・!

なので今日は頑張って木枠制作。っと思ったら同じホテルに滞在中のポーランドのご婦人達に夜のガーデンパーティに招待\(◎o◎)/!

その一人が水彩画家さんでホテルのsalonを一日ギャラリーにして展示するので絵を見て欲しいとのこと!5時から展示を手伝う羽目に成り  さて時間は無いし しかしポーランド料理は食べてみたいし断れない(**〆) 既に奥のキッチンでは料理の準備は始まっている。



6月2日

日本では明け方寝て昼近くに起きるので朝食の習慣がない しかしエストニアに来てからは朝起きて朝 食も取るのですから まるで別人。

さて11時からエストニア国立図書館で打ち合わせ。

外壁や内装まで石積みの豪華な現代建築にびっくり、6階まで吹き抜けのあるエントランスが有り1階 にもギャラリーが有りその奥に国際会議の出来る大小ホール。 しかもあちこちに現代アートの作品が展示されているし 装丁アートの展示室も有りまるで美術館。

さっそく6階のギャラリーの下見 図面で見たよりもかなり広い。
他にもギャラリーが有り 8月は私の展覧会と隣ではスロバキアの作家の展覧会と同時開催。
このギャラリーは客間と奥に会議室が有り とても贅沢な造りに成っていて 以前欧州文化都市を開催 しただけの事はあるなと感心。

8月13日のオープニングはオーケストラアンサンブル金沢のカルテット演奏も決定 ドイツ音楽祭とエ ストニア公演の合間に出演して貰える事に成り オープニングに花を添えてくれそうです。

しかし2カ月で30点の大作を描くのは尋常で無いどころか無謀に近いが 今更後に引けない。。

     

     



6月1日

アパートの前が市場なので 今日はゆっくり市場散策

長い冬が終わり草木が一斉に芽吹き 春の到来に人々も嬉しそう。
今日は日曜日だからか小さな子ども連れを多く見かける。

小さな市場だけど沢山の野菜や果物が綺麗に並べられ瑞々しくて美味しそう。
エストニアではなるべく農薬を使わないようにし 公害対策でも厳しい環境基準を作っているとか。

苦しい時代を経て独立し まだ国づくりの真っ最中なのに 自然を大事にし健康を優先する人々は 大切なものは見失っていないような気がする。

花屋さんもカラフルな色合いで沢山屋台が出ている。
エストニアは冬が長いので 温かくなるとどの家庭もガーデニングを楽しむのだそうです。

気持ち良さそうに日向ぼっこしているダックスフンドのモニー君 カメラを向けると人懐っこくて直ぐに寄って来たけど 小さな子には愛想無い。

市場の2階が食堂 お昼のせいかお客さんは一組 老夫婦とお孫さんでミルクタイム お祖母ちゃんに了解とってカメラを向けると 照れながらこちらを向いてくれるのが可愛いですね。

魚屋さんで写真良いかと聞くと 私は撮らないで云いながらしっかりポーズ。

どこの子ども達もシャボン玉は大好き。

日本ではよく焼き鳥トラックは見かけるが こちらでも鶏のグリルは好評 もちろん丸焼きですが。

エストニアは酪農も盛ん 牛乳もとても安くて濃厚で美味しい だからチーズも沢山あって上手い。
ランチはヘルシーに濃厚牛乳とチーズ パンとピクルスとオリーブ。ビールに合うなと思いながら楽しみは夜に。

生活必需品はどれもびっくりするほど安いが 輸入ワインや高級なものは20%以上の消費税がかかる。
絵具はオランダのターラント 凄く高いけどしかなく注文。 地元材木は日本の半値だから木枠は時間がかかるが自作するしかない。 だからわざわざ日本製のノコまで持ってきた。初めはノミと鉋までトランク入れたけど 余りの重さに取りやめ。

ところで朝は5時には明るく 11時過ぎ無いと暗くならない 確かにここは北欧です。

     

            

     

     



  5月25日

22日は朝11時から国立現代美術館(KUMU)企画主任のケレステ テック女史と8月の展覧会までの打ち合わせ。

はじめに現代美術館の説明が有り、展覧会企画のバックアップと宣伝やポスター制作 作品のト ランスポートやオープニングの準備は全てKUMUで進めることを確認。

キャリアウーマンらしくテキパキと会議を進める姿は初め冷たい印象だったけど 内容は非常に好意的で  私より若いのにしっかりした女性と頼もしく感じられます。

その後ヘイキさんの車で海岸線をドライブ ところどころ砂浜が有り ソ連時代に造りかけた大きな コンクリートの躯体 その先の小さな船着き場に降りて 海の中を覘くと思った以上に綺麗なのにびっくり。

しかしコンクリートの塊の船着き場は大きく割れ 縁を囲む厚い鉄の枠も 赤さびであちこち穴の空いた トタン板のように朽ちる寸前 冬の厳しさと潮風の強さを感じる。

苦いソ連時代から独立を勝ち取って22年 そのシンボルの場所は2万人の合唱団と10万人の観客を集めるスタジアム。

その指揮をした解放の指揮者像の周りには引切り無しにやって来るロシア人の観光客。その意味を全く理解してないのか  その像と一緒にデジカメで記念撮影の真っ最中。それを姿を見ながら ぽつぽつとその解放の日の事を説明する ヘイキさんの胸中をさっすると まだ癒えぬ心の傷が見えたような気がしました。

やはり加害者はその罪を早く忘れようとするし 被害者はいつまでも忘れまいとする
遣る瀬なくもはかない思いが零れてくる・・・。

     

     

     

     

       



  5月22日

5月20日朝5時前に大牟田を出発し 福岡空港→成田空港→コペンハーゲン→エストニア到着。

乗り換え待ち時間も入れ25時間の旅 流石に疲れました。
福岡も成田も雨でしたが 雲の上は青空が広がって 新天地へ向かう上安な開拓民の気持ちを晴れさせてくれるようでした。

何時も福岡からLCCばかり使ってましたが 数十年振りに全日空 やっぱり座席が僅かに広いだけしたが 快適で疲れませんね。
成田からはスカンジナビア航空で ほぼ満席でしたが座席もゆったりして初めて疲れなくコペンまで行けました。

しかしコペンのトランジットは5時間(T_T) おまけにホットドックと瓶ビールで8ユーロ(約1000円)ほぼ4倊値段にビックリ・・・!

Estoniaまではまるで自家用機のような100人乗りの小型ジェット 通路もせまく天井も低いのですが 座席は今まで乗った中では一番広く 膝も前のシートに全く当たらないし横もゆったり やはり大柄の人種に合わせてあるだけのことは有ります。

大牟田ではぎりぎりまで芸術祭の準備に追われくたくたでの旅立ちでしたが 何とかエストニアに到着できました。

エストニアの首都 タリンのひっそりとした夜更けの空港に降り立ちました。
足早にタラップを降りて行く乗客の後を追って一緒について行く。

時計を見ると、真夜中過ぎ。コペンで8時間戻したけど、エストニアでは1時間時差が有り戻すとちょうど20日の11時。

コペンのトランジットでは EU入国手荷物はかなり厳しく、パスポート検査の入れ時間がかかったが、。 エストニアでは預けた大きな手荷物の検査を心配していると入管検査はなく直ぐ外。

出口をくぐると元駐日大使のヘイキ氏がローマ字で書かれた吊前のプラカードをかざしてしていたので、 ちょっと恥ずかしかった。

日本を出るとき全くメールの返事がなくやや上安な思いでいたので安堵。70歳でちょっと無愛想に見えたけど 初対面とは思えない気さくな人でホッと一安心。

さっそく市内のお母さんのアパートだったところに案内され 暫くここに滞在する事に成りました。

出発前日も準備で余り寝てなく、当日も朝早く出て25時間の長い旅と時差の疲れはピークで、
ベットに倒れ込みそのまま爆睡。

明日は現代美術館で打ち合わせ いよいよ開拓開始です。

     

     

     



4月26日

エストニア大使館にてアートプロジェクト打ち合わせ。

5月20日     福岡空港→成田空港→コペンハーゲン→タリン着。
8月13日~9月4日 エストニア国立図書館6F展示ホールにて個展
8月13日昼    オープニングコンサート
           オーケストラアンサンブル金沢の演奏応援あり
製紙工場復興プロジェクト
 ソ連時代に閉鎖に追い込まれた製紙工場を稼働させ、
 稼働した製紙工場で漉いた紙をキャンバスにして
 アート作品を制作する。長期プロジェクトに成りそう

期待と使命を感じる実りの有る会議でしたが 2時間英語トークは久々に緊張しました。共通言語は英語ですが時々ドイツ語に成ったりで これまでのラテン語圏とは違い空白の時・・・が有るのは辛いですね。

24日から東京で連日壮行会 27日福岡で壮行会 28日大牟田に何とか生還 有りがたい事ですが流石に疲れました。