岡田シーリエさんが昨年の8月10日に逝去されてからちょうど一年を経過した日である、平成20年8月10日、「岡田シリエさんを偲ぶ会」が釧路全日空ホテルで午後1時30分かから開催された。

Dear Sirje
You will continue to live on our hearts.
献   花
会場には、午後1時頃から参加者が来場し、受付を終えた後、エレルヘインの透き通るような歌声が静かに流れる中、シリエさんが好きだったライトブルーの花、デルフィニウム1輪を渡され、一人づつシリエさんの遺影の前に献花を行った後、エストニアの各地の名前が書かれた卓上札のあるテーブルに座っていった。参加者は岡田家縁者と協会関係者、友人知人合わせて90名以上が参加した。特に葬儀の時にどうしても出席できなかったことが心残りだと言っていた、在日エストニア共和国大使のペーテル・ミッレル氏が東京から出席した。
合唱の国エストニアに生まれ育った故人にちなんで「アメージング・ストーリー」が静かに流れる中、開会に先立ち、司会の当協会伊東義晃より、シリエが日本に来た当初に伊東が記事にするためにシリエのインタビューを行った時のエピソードを披露し、当時の記事の写真を岡田洋一に寄贈した後、「シリエを偲ぶ会」の開催が告げられた。
挨   拶
日本エストニア友好協会会長 中村 正利
本日ごシリエの親戚、協会そしてシーリエとゆかりの深い皆様に呼びかけたところ100名近い皆様のご出席に感謝します。
シリエは1954年タリンで生まれて20年間エストニアで、
34年間は釧路で過ごしました。
1991年のエストニア独立を契機に翌年10992年に
日本エストニア友好協会が設立され3回のエストニア訪問の旅エレルヘイン・エストニア少年合唱団など数々のエストニア人との交流など、シリエの功績は大きく我々の心の中に生きています。
彼女のアルバムを見るとシリエは家族を愛し愛され、祖国エストニア
を愛した人生でした。
シリエの希望で偲ぶ会は楽しく行いたいと思います。ご出席有難う御座いました。
在日エストニア共和国大使 Peeter Müller

シリエさんはエストニアにとっても、日本を知るために、また日本にとってもエストニアを知るためにも、とても多くの働きをした。
私はシリエさんと一緒に元の大統領にも面会したしたこともある。
とにかく私にとっても大切な人だった。シリエさんのことは我々の心の中に永遠に生き続けることでしょう。
きみよバレイ研究所 代表 木戸公代
私がロシアのバレイとのつながりを持つにあたってとても多くのお世話をいただいた。そして、その中で、シリエさんは日本人よりも日本人らしい、とても心清らかな考え方をする人だった。

シリエさんのことは、その毅然とした考え方と一緒に私の心の中に行き続けることでしょう。
献   唱
3人の挨拶の後、シリエさんに届けとばかり、シリエさんがとても好きだった 「忘れなぐさをあなたに」 と 「涙そうそう」 の2曲の歌が、当協会の中井眞知子により歌い上げられた。
 
献   杯
2曲のシリエさんに捧げる歌が終了した後、シリエさんが生前にしめやかな集いは好きではないから皆ワイワイと楽しくやって欲しいと願っていたととのことで、その思いを実行すべく、当協会顧問の山田和弘の「テルヴィセクス!」の声とともに献杯を行い、出席者は各テーブルでそれぞれのシリエさんを偲んでの会食に入っていった。
会   食
 思い出の写真
それぞれの卓でシリエの思い出を楽しく語り合っている中、シリエさんとの思い出の写真のスライド上映がなされ、中村会長とシリエさんの夫の岡田洋一事務局長からスライドの説明が面白おかしくなされ、出席者が初めて見るシリエさんの映像に興味深々に見聞きしていた。
シリエさんの赤ん坊の頃からのスライドが上映されたが、その中で、岡田陽一がシリエとの結婚をシリエさんの両親に報告した頃の写真が右のもの。向かって右側がシリエさんが20歳の頃のもの。明らかに中央のサングラスの男が岡田洋一である。向かって左側の女性がお姉さんのアンネキカスさん、背の高い男性がアンネさんのご主人。そして下にシリエさんのご両親。


エストニアの思い出の曲の合唱 「森の中の小さな家」
協会ではシリエさんと一緒に3度のエストニアの旅を行ったが、その中でエストニアの民族アンサンブル「トルピル」のリーダー、ヨハネス・タウル氏の作曲した曲に鹿内先生が日本語の歌詞をつけた「森の中の小さな家」をペーテル大使を交えて、旅の経験をしたもの達全員で歌われた。
1997年11月のエストニアの旅で、ティヤ・ロイットメ率いる「エレルヘイン少女合唱団」、ヴェンノ・ラウル率いる「エストニア少年合唱団」が我々の歓迎のために、一般観光者には開放しないタリンのラエコダの2階でコンサートが行われたが、我々一行もこの旅行の感動を与えてくれたシリエに感謝を伝えるために、この「森の中の小さな家」を歌いながらバラをそれぞれ1輪づつシリエに渡していった時のことを思い出す・・・・
謝   辞
そして会食も和やかに過ぎた頃、司会の伊東から「そろそろ名残りおしいですが・・・」ということで、岡田洋一、シリエの家族全員が集まり、代表して岡田洋一から今回の偲ぶ会に出席された方々に感謝の言葉があり、ここにおられる全員の心の中にシリエは生き続けることでしょうということで、午後3時半頃に散会となった。
出席者は、岡田家一同の感謝の挨拶を受けながら、エストニアの国旗のお土産を持ち会場を後にした。
みなさんご出席ありがとうございました。
この後、岡田家の家族全員は、14日頃にエストニアのタリン・ボタニカル・ガーデンンでシリエさんの友人知人が集まり、エストニア版「岡田シリエさんを偲ぶ会」の出席のために、8月12日成田からエストニアのタリンへ飛び立つために、明日にでも釧路を離れるとのことだった。、